妙祐寺(樹木葬・納骨堂)の基本情報
墓地種別 |
寺院 |
宗旨・宗派 |
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永代使用料 |
28万円/区画~ |
住所 |
東京世田谷区北烏山4丁目16-1 |
アクセス |
- 京王井の頭線「久我山駅」より徒歩約12分
- 関東バス「烏山交番前」より「久我山病院行き」で「寺院通り三番」下車徒歩1分
- 中央高速首都高4号線「高井戸IC」より約5分
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妙祐寺(樹木葬・納骨堂)の特徴のポイント
霊園の概要
東急井の頭線「久我山駅」より徒歩圏内。
寛永2年(1625年)渋谷村宮益坂に、了頓法師が廃寺となっていたものを再建。
戦災で消失したため、昭和21年に当地へ移転。
伝統的な建物が多い寺町に古代インド様式の本堂がそびえ、独特の雰囲気がある。
周辺の寺町を代表するような威風堂々とした概観でありながら、
不思議と人を惹きつける明るさを感じさせる。
・本堂の扉には、非常に珍しい蟹梅の家紋が記されている。
・本堂横の建物には、静閑な佇まいの1階客間と2階客間がある。
浄土真宗本願寺派・天護山妙祐寺は、
弘安9年(1266年)一遍上人の建立だが、当時は時宗だった。
しばらくは天護山円証寺と称していたが、大永年間(1521~27年)学恩という住職の時に
兵火の災により途絶えてしまう。寛永2年(1625年)浄土真宗の僧了頓が
渋谷の宮益坂の土中から阿弥陀仏像を発見し、
それをご本尊として寺を再建して満歳山額恩寺と称した。
寺では了頓を中興の開山とし、後に寺号を妙祐寺と改めて山号も天護山にもどした。
その後了頓は8代将軍吉宗の習字の師となり、
その縁で現在、寺には当時吉宗筆の墨絵などが残されている。
また将軍や諸大名が駒場野鷹狩の際などには必ず立ち寄るようになったと言われている。
霊園の区画と費用
区画の名前 |
区画の面積 (平方メートル) |
墓地使用料(A) |
墓石工事費(B) |
総額(A+B) |
管理料金(年間) |
樹木葬 |
お問い合わせください |
280,000円 |
0 |
280,000円 |
無し |
納骨堂 |
お問い合わせください |
600,000円 |
0 |
600,000円 |
無し |
※上記の価格は実際の価格や空き状況と異なる場合がございます。
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