初七日の意味を解説
葬儀を行ったり葬儀に参列した人は必ず1度は聞いたことのある言葉ですが、「初七日」 (しょなのか)とは、故人が亡くなった日から7日目に行う法要の仏事で、古くは748年(天平年間20年)に元正天皇の初七日の法要が奈良県明日香村にある飛鳥寺で行われたのが日本では初めてのことで、この法要を以来初七日からはじまる七日目ごとの中陰法要といわれる仏事が行われるようになりました。
初七日は今では荒火明けと呼ばれており、この日まで家で葬式のこと行っていた喪家の親族一同が近隣の人たちとともに酒飯を行う日で無事に行われた葬儀の終了を意味する日でもあります。
初七日の一般的な流れは次の通りになります。
骨上げ後のて還骨勤行の後に行われるものですが今では葬儀の当日に行われるのが一般的なりました。
骨上げ後に遺骨が自宅に戻ったら、後飾り棚を準備して遺骨を安置します。
遺骨を安置した時に僧侶に還骨勤行の読経をしてもらいそのまま初七日の法要を行うことになります。
初七日の法要が終わると精進落としの振る舞いをするため、僧侶や葬儀関係者の労をねぎらう宴を行うことになります。
これが葬儀当日の初七日の法要の流れとなります。
初七日とは故人にとってどのような日となると考えられているかというと
- 初七日は亡くなった故人が三途の川のことに到着する人言われております。
- 月命日と祥月命日の供養
月命日は毎月亡くなった日に亡くなった人の生前好きだった物や新しいお花等をお供えして供養をし、祥月命日の場合は年忌法要に該当しない年でもお墓参りや塔婆供養を行います。 - 三途の川に到着し故人は三途の川渡ることになりますが生前の行いにより渡る川の流れが変わっており、激流、急流と暖流に分かれておりどの流れで渡れるか裁かれる日が初七日と言われております。なお三途の川の渡りかたは、橋、舟、泳ぎとされています。
- 故人が一番楽に渡ることができる暖流で橋または舟で渡れるように供養するのが初七日法要と言われております。